[Language of Flowers]を映像へ映像デイレクター・坂西伊作氏に聞く
ステージを観たときに、遊佐未森は、この曲で何か表現したいストーリーがあるなってことが伝わってきて、それが、今回のビデオを制作する大きなキッカケになったと思います。ただこのライヴをそのまま撮るのではなく、もっと広げた形で映像に残せたらと、ね。今までの遊佐のビデオは、イメージというものをすごく大事にして作ってきだと思うんですよね。彼女の声、歌ってる情景・…。具体的な提示は何もしないで“森や水の何か”,といったようなイメージ=遊佐未森という作品になっていたと思うんです。だから今回のものは、歌っているだけでなく、パフォーマンスをしたり、しゃべったり、ストーリーのある演技をしたりとか、イメージだけではなく、もっと彼女自身の中にある何かをひっぱり出して、新しいタイプのビデオにしなきゃいけないと思いながら制作を始めました。被女は、一緒に映像を作っていける感じがすごくするんですね。彼女は映像を作ることに対してすごく前向きに考えていますからね。僕が遊佐を“こんなふうに描きたい”というのは、もちろんあるんですが、彼女自身の内面から出てくるアイデアやモチーフはとてもおもしろくて、それを僕のアイデアと混ぜ合わせて作っていくことができるんです。これは多分、他のミュージシャンでは、無いパターンですよね。今回のようにダンサーや劇団の人たちを連れてきて演じるというようなことになると、遊佐未森ならではという感じがします。それは、やはり彼女自身から発してるエネルギーが音楽に限ったものではないからでしょうね。今回、脚本というものは無かったのですが、もし脚本があったとすれば50は僕で50は彼女だったと言えると思います。原案はもちろん彼女のステージにあったわけですが。
遊佐未森の頭の中にイメージされている音楽は他とはまったく異質なものですよね。だから、どれだけそれを理解できるかというところが映像にする場合のポイントになってくるのではないかと思いますね。ところで今回、この作品を作ること自体が新しいことのような気がしてたんですよ。編集が終わった時点で初めて通して観たときに、一番おもしろかったというのも、そこで自分たちが何を作ろうとしていたのか、というものが初めて見えたからなんです。すごく無責任に間こえるかもしれませんが、それがこの作品の魅力だし、在り方だったような気がします。たとえば、沖縄でのロケというのは、「今までやらなかったことをやる」というのが大前提にあっだからで、野原や森やヨーロッパの風景の中で撮ったなら、彼女がはまることがわかってますよね。観た人にも「また、同じことをやってるな」と思われるかもしれない。以前、竹富島を訪ねたとき、ここは日本じゃない異様な空気があるなと思ったんです。決してきれいなものじゃなくてね。これまで彼女はいつもきれいな風景の中にいましたよね。でも今回の作品の中では、異次元の世界へ行ってしまうわけだから、逆に、そういう場所を選んだらおもしろいんじゃないかと。今回のビデオでおもしろかったり、新鮮に感じられる部分があるとすればそういった逆発想の上に成り立っているような気がします。ただ、今回沖縄ロケで、すごくよかったと思ったのは、ダンサーの人たちがいてくれたことですよね。彼女たちがすごく雰囲気を作ってくれた。そんな中だから遊佐自身もさらに自由に自然にいろんなことを発想できたんじゃないかと思います。竹富島と遊佐未森という異質な組み合わせのものをつないでくれだことを今すごく感謝していますね。実は、年内にもう1本ビデオを制作するんですが、それは、本当にドラマ的な作品になると思います。ですから、今回のものは音楽の遊佐ですが、次の作品は役者という発想で作られることになりますね。最初に音楽があるのではなく、できあがっだ映像に音楽をつけるという・…‐。そこでまた新しい遊佐未森をお見せできればと思っています。