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空耳音楽博物館管理人の日記帳と掲示板
1999年12月
1999.11.30
今日の購入CD「Sparta / KENSO」「In The West / KENSO」「same / GRYPHON」「High Excentrique / 橋本一子」「Vihma / VARTTINA」
1999.11.29
1999.11.28
私の1999.11.18の日記に対しての感想を読んだ。かなり当っている部分もあるし、筆者の意図が伝わって居ない部分もある。
まず、音楽を売る方法論の「他人の方法論の批判は愚痴であり、建設的ではない」という点について。筆者はどんな馬鹿なプロモーションでも好きにやれば良いと思っている。見ていると余りにも馬鹿らしく御立腹状態になるので、TVを消すだけである。「それならば、批判しなくても良いでしょう。」と言われるが筆者が口うるさく非難する理由は以下の通り。
結論を先に書くが、現在の大手レコード会社の極度のプロモーション依存は、現在の流通経路、媒体、最後にはレコード会社自体の破綻を招くものである。間接的に筆者が必要とする音楽の供給をも危うくするので消費者の立場として御遠慮頂きたい、という事である。
まず馬鹿プロモーションとセットで作られた音楽を「産業音楽」と呼び、純粋な音楽を「音楽」と呼ぼう。純文学みたいだけど。
「産業音楽」も「音楽」も現在はレコード会社が供給する録音物という形で我々は接する事がまだまだ多い。
ここで、大手レコード会社がHi Risk Hi Returnの「産業音楽」しか扱えなくなる体力低下が恐ろしいのである。工業技術の発展は製造原価の低下に寄与したが、人件費、物流経費、宣伝費は増え、採算点に乗る枚数は上昇しているのではないだろうか。ここで、宣伝費のかかる「産業音楽」に余りにも肩入れすると採算点の高い物しか売れない「体質」に大手レコード会社がなるのがまずいのだ。
こうなると、経営的視点からは「音楽」を切り捨てて「産業音楽」に注力すれば良い。実際に大手レコード会社では不景気もあり、その様なrestructureは盛んな様である。
さて、前述の様に工業技術のお陰で物理的な製作費は減少をし、少数精鋭で「音楽」だけを送りだす事は可能になって来ている。実際にMSIやMARQUEEの様な弱小(失礼)レーベルもしっかりアルバムを発売出来ている。
しかし流通段階はどうであろうか。internetは音楽流通を変えると巷では言うが、通信環境も貧弱であるし音楽ファンに対する普及率は未だ低い。現在「産業音楽」「音楽」を流通させているのは、未だ大手レコード会社と大手取り次ぎであり、彼らが扱わない事には一般的な人々の手には届かない。この様な状況は徐々に改善されていくだろうが、現状は厳しいと思う。
次の機会には「音楽ファン人口」について筆者の考えを記述したいと思う。
1999.11.27
風邪です。
1999.11.26
1999.11.25
1999.11.24
今日の購入CD「1001シCentigrades / MAGMA」
1999.11.23
今日は庭木(ツツジ)の植え替えをやってくれ、という事で庭仕事である。最近は「ガーデニング」などというお洒落な言葉もあり、女性に人気らしいが、土木作業用のシャベルで庭を掘ってみろ、結構大変だぞ。
さて、2時間ほど労働の後、隣の駅のBookoffという古本屋兼中古レコード屋へ。CDは買いたい物はあるなが1250円均一価格のため「三鷹で買えば安い」という主婦感覚が出てしまい、戦果無し。EPを見ているとELOと矢野顕子がそれぞれ300円、100円なので御祝儀として買う。(?)さらに「日渡早紀画集 PLEASE SAVE MY EARTH -ぼくの地球を守って-」が300円で売られていたので、買う。以前、撮影用にある方にお借りした事があったが、無事原本が空耳音楽博物館に収蔵されたのである。奥付を見ると15版とある。売れているのね。
1999.11.22
そう言えば、1999.11.14の酒税の疑問点であるが、「焼酎のお湯割り」に梅干しを入れることがある。その時、飲み屋が梅干しを入れたら、「酒を新規に作った」事になり課税され、客が入れたら課税されないのであろうか。
1999.11.21
さて、喧嘩を売られたわけでも無いのに、チケット代金の事で御立腹していた筆者であるが、音楽にどの程度投資しているのか調べてみよう。
「Live Date」等を参照すると平均して3回/month程度のライヴ参加と予測出来る。また、CDの購入は10枚から20枚程度であるので、少なくとも週に3枚として12枚/month。一度レコード屋に入るとこれ位買うので意識としては妥当だと思う。
チケット代金は2800円から7500円まで分布が広いが面倒なので4000円としよう。これでチケット代金は12000円となる。CD盤も中古の100円から新品3200円までに分布しているが、一番多いのが1300円程度であろう。これでレコード代15600円となる。合算して27600円。年間で33万円は使っている様である。
さて、実際にはライヴの後の宴会費用、電車賃、音楽雑誌等を加算すると年間50万円程度は行くだろう。特に遊佐未森のライヴで東京以外に行くと万の単位で出費となるので厳しい。
こう見ると筆者が裕福なのでこれだけの出費に耐えられるのではという意見があると思う。若者の必須アイテム携帯電話は月に1万円の経費が必要らしいが、筆者はPHSで3000円である。また、自動車は保有せずと地球と自分のお財布に優しい生活をしているのだ。
1999.11.20
門のペンキ塗をやった。先月一度やっているが塗り残しを発見したのと塗装が薄い部分があったためである。
1999.11.19
「ミュージシャンは貧乏。チケット代は安すぎると思う。」という発言がどこかであったらしいが、筆者は主婦であるので(嘘)これには反対である。この発言の主が、ミュージシャンであるか、そのマネージャであるか、はたまた聴き手であるかは不明である。なので、それぞれの立場での発言として考えてみよう。
まずは「聴き手」ミュージシャンを経済的に支援したければ、友達をライヴに誘ってみよう。どうしても駄目なら自分で喜捨しよう。
「マネージャ」採算が取れるように努力しましょう。音楽は原価を下げる努力は難しいですが、如何に客を呼ぶかを考えていますか。商売で一番難しいのは売り上げの予測です。予め収入が分かれば原価(ギャラや経費)をそれに見合った調整は出来ます。ライヴハウスとの契約形態は知りませんが、チケット代の値上げが出来れば、値上げをしてみたらどうでしょう。無論、それによる観客減を予想する必要はあります。市場を開拓する努力を怠って安易な値上げをするのは無能な役人と同じです。
「ミュージシャン」甘ったれるな。どんな仕事でも自分の思っている通りになる仕事は無いんだ。理想と現実との日々の戦いは誰にでもある。清貧を貫いて究極まで理想を追及するのか、妥協をして金を貯めるのか、自分で選んだのだろうが。それを忘れて「チケット代は安すぎる」だと。?寝言は寝て言え。
と、冷たい筆者である。ライヴの関係者御招待は全く無いので全て自腹である。筆者に出来るのは良いと思うライヴはちゃんとチケットを買って沢山行って、一行でも感想を書いて帰ること。それだけは忘れずに続けている。あなたに出来ることは何ですか。?
1999.11.18
筆者は余りテレビを見ない。家に戻るのは9時以降であるし、地上波では見たい番組も滅多に無い。で、あるTV番組で、あるバンドの出すCDが何枚売れないとバンドを解散して就職だかというのがあった。大体に於て、売れなかったら解散と言うが勘違いも甚だしい。レコード会社は売れなければ単にお払い箱にすれば良いだけで、ミュージシャンが音楽をやりたければ、本人達の収入がどうでも勝手に好きな音楽をやらせておけば良い。
この番組のような不条理な状況を作れば、馬鹿な視聴者が「私の大切な**が解散したら悲しい」とか良く分からん心理で売れるのであるから日本は素晴らしい。
お〜、凄え悪口書いているぞ、私。どうもM.Y.という女性ミュージシャンのツアーのproducerが、このバンドのツアーの面倒も見たので、余り悪口を言うと勘違いした抗議mailが殺到しそうである。
「音楽は純粋に音楽として楽しめば良いのであって、皆に届く過程を問題にするのは良くないと思います。」だろうな。多分、来るのは。
と筆者はいたく御立腹であったのだが、KENSOのマネージャの野崎氏も同じ事を書いていることを発見し、安心した。(笑)
1999.11.17
1999.11.16
そう言えば、bootlegという単語で太古の記憶が引っ張り出された。確か10数年前であると思うが、「ステレオ」という雑誌での珍事である。「ステレオ」は名前の通りのオーディオ雑誌であり、現在も続いている中級から上級向けの雑誌である。この雑誌は後ろに新譜の「録音評価」が載っている。あくまでも評価は録音が良いか悪いか、といういかにもオーディオ屋向けの物である。
で、ある日筆者が誌面をめくっていると驚異的な低得点の盤が並んでいるのだ。評価は10点満点の5種類位の要素があり、さらに10点満点の総合評価がある。大抵のアルバムは7点は越えているのだが、その一群だけ3点だの5点だのという評価であったのだ。
当時、海外のbootlegを輸入して国内で帯を付けて売っている会社があった。大胆にも社名と連絡先がしっかり入っているという代物で、一体どういう訳か知らないが、その会社がトチ狂って送ったのか、編集部が間違って買ったのか、とにかくこれらが録音評価されていたのであった。
録音評価にはコメントもある。当然、目茶目茶であるが、コメントがそれぞれ異なっている所を見ると、編集部では律義に試聴したらしい。この珍事は数ヶ月続いていた気がするが、一体、何故あんな事が起こったのか未だに謎である。
1999.11.15
仕事で神奈川県の野比まで行く。行くのに2時間近く掛かったが話は40分程度で終わってしまった。とほほ。行きは駅からタクシーで5分程度であった。帰りはバスが1時間に1本なので歩いて駅に戻る。海沿いを歩くと砂浜に大量に不法投棄されたゴミが目に入って、がっくり。野比といえば、YRP(Yokohama Research Park)で有名であるが、駅前は寂しい。レコード屋が無いかと見回したがそれらしい物は無く、当然レア盤GETなどという話もなく大人しくしていた。
1999.11.14
筆者はbootlegに縁があるのか、今日のお題はbootleg、密造酒である。どこかの観光地の旅館で作成して、客に出している果実酒が問題になっているそうな。良くリキュール類に果物を漬けた酒、梅酒等があるが、これはbootlegなのだそうだ。何故か。法律で酒に水以外の物を混合した場合はその混合物を新たに「酒を製造した」と見なし、酒税をかけると決まっているのだ。だから旅館は酒の密造をしているとみなされる訳。
馬鹿な朝日新聞は情緒論に終始しているが、これは単なる税金の二重取りであり、課税方法が不当なのだ。もし、これがbootlegで課税の対象であれば、飲み屋の「焼酎のお湯割り」は良くて「ウーロンハイ」は水以外を加えているので課税の対象になってしまう。当然、カクテル類は全て摘発。
特に「梅酒」の様な醸造したアルコールに後日何かを加える酒は凄く不利になってしまう。(梅酒は梅からアルコールを作っているのではない)また、原料のアルコールを作る工程と梅を漬け込む工程とが別の会社になると2度課税され、一緒の会社であれば1度しか課税されないという不合理な点がある。
筆者が想像するに馬鹿げた法律の目的は低濃度の酒を原料として蒸留して高濃度の酒(一概には言えないが税金が高い)を作るという抜け道を塞ぐ手段か、課税の時に調査が面倒という徴税上の問題(怠慢とも言う)なのであろうと思う。こういう役所の怠慢と戦うには朝日新聞の情緒論〜おかわいそうにという同情作戦〜は不要である。理論的に叩くべし。
1999.11.13
今日は夕方から会社の知り合いのライヴであった。2時間程見たところで中座して、吉祥寺へ。ここからまた2時間AREPOSのライヴ見ているのであるから、筆者も馬鹿な奴である。
1999.11.12
今度、1曲100円でのinternetでの曲配信が計画されているらしい。当初の計画では1000曲程からスタートするそうな。
筆者は古風で保守的な人間であるので、音楽を聴く時は歌詞カードやジャケットも眺めたいと思うので、「データだけ」の音楽配信というのはちょっと味気ない気もするが、これが今の御時世なのであろう。やはり流行の曲をmp3 playerみたいなので聴く需要が多いのだろうな。1000曲と言っても、シングル1000枚という事だろう。これくらいあれば流行の曲は押さえられるのかも知れない。
さて、1000と言う数字で思い出したのであるが、本日某通信会社のフォーラムを見学した。そこで面白かったのが平面の立体認識である。我々は写真(平面)に立体が写っているとそれの立体の形を「想像」出来る。つまり写真では隠れている部分も脳で判断することにより、全体の形を推測出来る訳。これをコンピュータで行うには、特異点、平たく言うと、図形の輪郭検出を行う。それを辞書と照合して相当する立体図形を選ぶらしい。で、もう一つの実験が、車の識別である。ボディーの前部を写して車種を判断するのである。これで辞書に蓄えられた車種が7000種類だそうだ。データ10MB程度。で7000種で国内に走っている車の大半をカヴァー出来るそうだ。将来、高速道路等で燃費に応じた料金設定をする時に実用化出来ないかという話であった。
1999.11.11
Mac Lifeの10月、11月と連続して、遊佐本の広告が出ていた。まあ、出版が同じBNNだからだとは思うのであるが、それでは何故同じシリーズのPink FloydやBritish Jazz Rockの時は広告が出なかったのであろう。ところでp.104の「0の丘∞の空」の「0」を単なる丸に誤植していると筆者は感じるのであるが、どうなのだろう。
1999.11.10
今日の朝日新聞夕刊に合唱会(?)の模様をinternet中継をしようとした学校の話が出ていた。全く律義というか、JASRACに相談して当然JASRACからの回答は「駄目です」と言う事で中継を断念したという。
筆者はJASRACは馬鹿者で利権独占の嫌な奴だと思っているが、今回の対応は「当然」と考えている。というのは、JASRACという団体の存在意義、立場、設立経緯を考えると、「駄目」と回答するのが正しいからである。
最も「著作権」という法律の基礎思想としては「他人の褌で相撲をとってはいけません」という事なのであるが。
1999.11.9
仕事帰りに悲しい思いをした。というのは、山手線に乗っていてとんでもない事に気づいたのであった。目白から池袋に向かう時、池袋の手前で巨大な立体駐車場がある。この隣には「生あん製造」と大きな看板がついた木造工場があった。が、今日見ると、そこが空き地になっていたのだ。以前から、あのような不思議な場所...JRと西武線に挟まれ、まるで川の中洲のような...があり、さらに都会の真ん中で「生あん」という食品工場という事で、一度偵察(笑)をしてみたかったのだが。
1999.11.8
このコーナー不評である。世間の悪口言っているだけじゃねえか、という指摘と苦情のmail多数。(嘘)おまけに色気も無い、という訳で今回は男性読者の為に、お題は「SM」です。
おいおい、いきなり何事かと言う方もいるかも知れないが、当コーナーは当然レコードとリンクしているのだ。先日、近所の中古レコード屋の閉店の話をしたが、ここのオーナー氏に見せて頂いた逸品。日本を代表する偉大なレコード会社「東芝EMI」様が1996年に社運を賭けて発売したCD「女王様の叡知」(TOCT-9373 1996 東芝EMI)のお話である。中身は本物のSMクラブの女王様(確か、電話番号まで書いてあった気が)の「お言葉による調教」とやる気の無い(すまん)劇伴音楽とが交互になっているという代物である。店で皆で聴いていたのだが「やっぱりこれって、レコード会社の人が『ひー』とか『すみません』とか言いながらマイク構えていたんですかねえ。大変ですね。ディレクタの趣味なんですかね。」と馬鹿話をしていたら、いきなりスピーカから女王様が「CDでお気軽にSMを楽しもうとしてんじゃねえよ!」と。申し訳ございません、女王様。
しかし、これ何枚売れたのだろう。
1999.11.7
「外間君、日本ではいい音楽っていうのは売れないんだよ。」我々リスナーが「いい音楽だけど売れないだろうな〜。」と半分愚痴に言うのは良くある。これは特権意識の裏返しである。どうせ大衆には芸術は分からないぜ、という。実際そうであったりする。例えば、筆者にはコーヒーの違いが分からない。何事も「違いの分かる男」にならないと十把一絡げなのだ。
さて、表題の言葉は外間隆史が酒の席で何か演説したら誰かに言われたそうだ。その場で皆が笑ったという。多分に、これは音楽の送り手側の人々の集まりであったのだろうが、中々深刻だ。送り手側に「どうせ大衆には良い物は分かりやしない」と思われているのだ。
逆に「日本で売れている音楽」というのはどういう音楽なのだろう。「悪い音楽」なのだろうか。それとも「マーケッティングに秀でた音楽」なのだろうか。
1999.11.6
「賢い消費者」なかなか古い言葉である。多分高度成長期の公害とかに対抗する主婦による運動の言葉として生まれたのであろうか。
さて、現在の我々とレコード会社との関係を考えると、「消費者」と「生産者」と言うのが妥当だろう。これは嫌みでも何でもなく現実だ。私見であるが、音楽という「製品市場」も生産して市場に出せば直ぐに売れるという高度成長期の様な状況ではなく、多様化と市場の飽和によりマーケッティングの時代に入ったと思われる。
消費者運動に話を戻す。例えば、食品における過剰な「おまけ」による販促や、成分表示の嘘は法律で規制がされる様になった。無論、企業側の自主的な反省ではなく、消費者側からの「異議申し立て」というのが大きな力を持っていた事は疑いが無い。
これらの「異議申し立て」が全て科学的、論理的であるか、という問題は抱えているものの、消費者と生産者との緊張が無ければ良い商品は生まれない。社会主義経済の失敗はここにある。
と、人間性悪説に立つ嫌な人間の筆者は「賢い消費者」としてレコード会社という生産者の間違った販促や成分表示に偽りがある商品に対しては異議を唱える。
砂糖水のジュースばっかり飲んでいて虫歯になっても構わない。でも美味しい味を分かるには歯がちゃんと無いと駄目なのだ。歯が抜けてから美味い食事を楽しもうとしても遅いのだ。まあ、全く持っておせっかいで世間知らずの私、主婦の言う事なので、皆さんは気にしないで頂きたい。(笑)
1999.11.5
あくまでも伝聞主体であるので、名前を特に秘すが、Tというレコード会社がある。(実在のレコード会社とは関係はありません?)ここの年間売上のピークは900億だったそうだが、近年670億にまで落ち込んだという。最も、最近Uの700万枚(原価50%として売り上げで20億程度?)という爆発ヒットにより、ボーナスが出たそうな。(笑)で、邦楽と洋楽とどっちが儲かるか、という話になる。これは圧倒的に邦楽なのだそうだ。例えばEのミュージシャンのを国内で販売してもOEM(相手先ブランド供給)と同じ粗利率は低い。であるからに国外のVと契約しているDを国内で沢山売っても結構厳しいらしい。Bの2枚組が3連発で出たが、1は黒字、2はとんとん、3は赤字でトータルちょい赤字という話もあるらしいぞ。自社契約でも100万枚を越えるとミュージシャン側の売り手市場で利益率は下がり、一番おいしいのは経費もかからず煩いことを言わない50万枚程売るミュージシャンらしい。
これをふまえると、会社が邦楽ミュージシャンを必死で売らないと持たない体質というのが分かる。無論、資本主義と市場経済が効率の良い世の中を作っているので異議は無い。会社は生き残るために努力しないといけないのである。購入した消費者が「一生の名盤」と考えて手放さない1枚も、「中古レコード屋の棚に溢れる」1枚も、1枚売った事には変わらない。しかし...。
今日の購入CD「Zoom / KOKOO」
1999.11.4
骨折した傘の修理をした。東急ハンズの傘直し金具(?)110円なりを使用した。未だ金具が3個余っているので他の傘も直すかな。
1999.11.3
音楽産業の衰退というのは良く言われている。バブル邦楽ヒットとカラヲケのお陰で音楽産業は近年も若干であるが成長してきた。しかし、嘘か本当か分からないが、携帯電話という大敵が現れた。そりゃ、小遣いが1万円も無い子供達が電話料金の為に1万円も払っていてCDをどうやって買うのだろう。個性化の時代と言いながらも好みは横並び、世間と同じ物を求めている子供達に「個性的な音楽」を探す能力を期待するのは難しい。折角レコード屋で財布を開いても売れ筋買って終わりだから厳しい。
すっかり何を言っているのか分からなくなったが、ここまでをまとめると、遊佐未森という商品を若年層に販売するのは難しい時代という事だ。バブル景気の1990年頃は「ネオアコースティック」という得体の知れない物がブームで「売れ筋」であったが、現在は市場の主流から完全に外れている。特に若年層(所謂20歳以下)に遊佐未森を買わせるのは、市場と顧客の流れからして一番難しいのでは無いだろうか。
それではもう少し、年上を狙うとする。はっきり言ってしまって何なのだが、遊佐未森はある程度音楽を聴いている人には「かつて流行した」みたいな「時代遅れ」の意識が強い。例えば、中島みゆき、谷山浩子という人々を考えてみると、彼女らは「中島みゆき」「谷山浩子」という強烈な「ジャンル」になっているのである。ここで「遊佐未森」が「遊佐未森」という「ジャンル」に昇格出来ず「ネオアコースティックの一員」という意識が市場で蔓延している現状、拡販には何が必要であろうか。
1999.11.2
底辺の底上げ、という言葉がある。かつてオーディオがブームだった時代があった。まずは小さなラジカセを購入してもらい、次にミニコンポ、そして単品コンポという風に段々高額な機器を買うべく誘導した時代があった。多分、カメラもそういう時代があったのではないだろうか。
まず底辺(=入門機)を沢山販売して、その層が満足出来なくなり、徐々に高価な物を購入する。右肩上がりの成長の図式である。高度成長期はこの手法が通用した気がする。しかし、現在の様に時代が成熟してしまうとこれは難しい。確かに、安いラジカセやカメラを買う人は爆発的に増加した。しかし、高級オーディオや一眼レフの高級品を買う人は大して増えていない。いや、現在のオーディオ店の減少等を加味すると高級品を買う人は減少しているのかも知れない。
さて、ハードウエアは成熟してしまったが、ソフトウエアはどうだろうか。現状は爆発的に売れるヒット作品はある。しかし怖いのは、今のレコード売上金額は横這いであるのに、ヒット作品が増えているという事実だ。つまり、個性化の時代と言うものの、ヒット作品での消費が増えてその他の中堅の作品は売り上げが減少しているのでは、という事だ。これは生物の進化でも種類の減少は進化の行き止まりに来ているという訳で、音楽の衰退を意味しているのではと思う。
1999.11.1
1999年10月