このプロモーション盤で謎とされる点は2点である。
1.について
全く不思議な事である。当事者に取材をしたのではないので、真相は不明だが、遊佐未森を売り出すにあたって、その呼び方すらこだわっていた作り手が存在していたという推測が出来る。通常、プロモーション盤は商品盤を作るより先だと思われるので、折角決めた呼び方を何で商品盤で変更してしまったのであろうか。
「空耳見聞録」を参照すると分かるが、「瞳水晶」プロモーション盤は本CDと「瞳水晶」(本型)が存在しており、そちらは「87年」という表記になっている。この表記が正しければ、87年のレコーディング直後に作られた最初のプロモーション盤、88年に入ってから作られた今回紹介したプロモーション盤、最後に商品盤という作成順序になると推測できる。
CDをプレスする事自体は1月も必要としないが、ジャケットデザイン、そして印刷版下等を作成する時間を考えるとかなり厳しいはず。88年4月1日の発売開始までに何故、こんな面倒な事を行ったのであろうか。
2.について
「ハルモニオデオン」レコーディングの取材に於て、遊佐未森本人から「ハルモニオデオンは曲より小説が後から出来た。」という内容の発言があった。「空耳の丘」の小説は先か後か今のところ不明であるが、87年頃の時点で小説を含むコンセプトという物は外間隆史の頭の中では完成していたと推測される。少なくともこの時点で「ソラミミ楽団長」の衣装は完成しているのは確実であろう。これについての詳細は「瞳水晶」(本型)の解説を参照していただきたい。
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