Dear "My Only Lonely Forest"

 ノスタルジアは危険なものである、と言う人たちがいる。過去を振り返り、懐かしみ、こだわることは、前進を不可能にすることだと考える人々である。

 ファンタジーは無意味である、と言う人たちがいる。果てしない空想の世界に遊ぶよりも、現実の目の前の仕事を片づけることに意味を見出す人々である。

 だが、過去を失った前進は、夢を失った現実は、はたして本当に意味あることなのだろうか。

 遊佐未森の歌は想い出である。そして、夢である。

 それは、誰もが持ちえず、にもかかわらず誰もが持ちえたはずの、遠く幻想的な記憶である。いつまでも大切に心の中にしまっておきたい、宝物のような気持ちである。彼女の歌は、そんな想いを僕たちに与えてくれる。

 大嘘?もちろん、それはウソかもしれない。いくら感情移入をしたところで、彼女の歌は「私」の経験ではない。いや、彼女自身の経験でないどころか、彼女の歌に関わった、誰の経験でもありえないだろう。「現実」にこだわる人の目には、それはいかに無意味なものに映るだろうか。

 だが、嘘のどこがいけないのだろう。

 この嘘の中には真実がある。それは、前進を思うあまりに自分の音を失ってしまった旅人たちのための真実である。それは、富める「現実」の奇妙な空虚さを少しでも満たそうともがく者たちのための真実である。

 喪失の時代。誰もがより高く、より豊かな場所を目指すあまり、大事な何かをどこかに置き忘れてしまっている。その忘れてしまったもの、僕たちに本当に必要なものを、彼女の歌は思い出させてくれるのである。

 未だ、森ならず。

 彼女はヒットメーカーにはなれないかもしれない。しかし、この1本の若木は、これからも僕たちの心に「ファンタジー」という名の酸素を与えつづけてくれるだろう。

 1本で立ちつづける「僕の森(My only lonely forest)」は。

 このページは、「てのひら共同体」発行(1991年)の「Forest to the Forest」に掲載された拙文を再構成し、再掲したものです。
back to さわらび研究室 TOP PAGE